コラム
第3回 プロトコール

プロトコールというとインターネット関係の用語のことを書いているのではと、思われる人が多いと思いますが、ここで書かせていただく内容は、日本語に訳しますと、外交儀礼のことです。私自身は外交官でも、外交儀礼の専門家でもないので、吉良上野介ばりの外交儀礼指導はできませんが、マレーシアのサルタン王宮における宮中午さん会や、総理大臣や州の主席大臣主催の晩餐会に通訳として出席したり、大臣や知事クラスのVIPの公式訪問の通訳を務めた経験はたくさんありますので、ちょっとこの手のことにはうるさい人間の1人だと思います。

国レベルでの訪問、つまり大臣や国会議員レベルの訪問の場合、大使や公使のようなマレーシアの日本大使館の方が随行されるので、通訳をしていても全く日本人として恥ずかしい思いをすることはありませんが、最近時々行われます地方自治体レベルでの外交の場では、日本人として悲しくなるような場面に遭遇するので、ぜひそのような自治体の皆様に、外国に出て来るなら、外交儀礼のイロハくらいは学んで欲しいと思います。

恥ずかしい例とは、このようなことです。ある自治体の国際課の課長が自治体の長の代理として、マレーシアの地方自治体の長を訪問した時のことです。ご一行様は、ホテルからその役所まで、街の流しのタクシーに乗って行くことになりました。私は通訳として同行しており、これはやばい!と思い、ホテルのリムジンを使うことを勧めましたが、そんな贅沢な予算はない、ということで、タクシーに分乗して行きました。その役所の正面玄関で、自治体のナンバー3の人が待っていてくれ、タクシーで来た私たちを驚きの目を持って迎えてくれました。実は正面玄関にタクシーを乗りつけようとして、門衛所に止められ、無線でやりとりをして、やっと入れてもらいました。

なぜタクシーではだめなのかが分からない人のためにマレーシアの事情を書きます。マレーシアではタクシーは自分で車の買えない人が使う乗り物、つまり貧乏な人の乗り物です。地方自治体の長の代理ともなれば、通常はホテルのリムジン、それもベンツを借り上げて使うのが常識です。流しのタクシーで公式訪問に行く人は絶対にいません。ですから、門衛所の職員はタクシーで日本の自治体の長の代理が来るはずがないと思い、タクシーを正面玄関に横付けすることを拒否したのです。ベンツで行ったなら、すぐに通してくれたはずです。

そして出迎えの人の後についてご一行様は長の部屋へ行きました。通常は長の部屋に入る前に控え室でちょっと座ってから、長の部屋に入ります。その控え室の中で、おみやげはどうこうとかと騒ぎ出し、全くみっともない姿をご一行様は演じました。そして長の部屋に入り、席に着き、歓談が始まりました。

そこでまた大失敗をしでかします。ご一行様の代表が、英語で用意した挨拶の原稿を読み上げました。通訳を使わずに自分で英語で挨拶をするということはすばらしいことです。しかしマレーシアの人の人名の呼び方を全く心得ておらず、自治体の長とナンバー2の人の名前を間違えて呼び続けました。彼は決してローマ字が読めないのではありません。長のお父さんの名前を呼び続けたのです。ここまで書けば、イスラム教徒の人の名前に詳しい人がもう私が何を書こうとしているのかお分かりと思います。たとえばマレーシアの前首相のマハティール氏のフルネームは、マハティール・ビン・モハマッドです。マハティールが姓名でいう名ですが、ビン・モハマッドが姓ではなく、ビンは「〜の息子」という意味で、つまり「モハマッドの息子」という意味になります。姓のないイスラム教徒の人は、「モハマッドさんの息子のマハティールさん」というふうに名前を表すのです。

因みにオサマ・ビン・ラディンという人も同じで、「ラディンさんの息子のオサマさん」という意味で、ビン・ラディン家とか、彼のことをビン・ランディン氏とか言っているニュースはすべて間違いです。本当はオサマ氏というべきなのです。

女性も同じで、マレーシアの通産大臣の名前のラフィダ・ビンティ・アジズは、「アジズさんの娘のラフィダさん」という意味です。アジズを姓と勘違いして、大臣に対して、「ミセス・アジズ」と言った日本人がいましたが、大臣は「私はお父さんの奥さんじゃありません。」と呼び名を訂正していました。

事前に、訪問する先の人の名前をどう呼ぶのか、また役職とか爵位とかをきちんと知って、言えるようにしておくことは大切です。お客様が日本語で話し、私が通訳する時には、その辺の間違いがあっても、マレーシアの慣習に従い意訳してしまいますので、問題はありませんが、自分で英語で話をする時には、事前に勉強をする必要が絶対にあります。日本の例でいえば、天皇陛下に面と向かって、「アキヒトさん」ということは大変失礼になるのと同じです。私自身、通訳としてマレーシアの爵位(本当は勲章に伴う称号ですが)や学位については十分調べて粗相のないように心がけています。しかし本当のところは1度覚えてしまうと、爵位や学位だけで名前を言わずに呼びかけても失礼にならないので、楽は楽です。たとえば、前首相のことは、本来は、「トゥン・ドクター・マハティール」と呼ぶべきしょうが、「トゥン」と呼びかけるだけでも、会話の途中では問題がありません。

では、歓談のテーブルに話を戻します。テーブルの上にはマレーシアのお菓子が用意され、コーヒーと紅茶が注がれました。長から「どうぞ」と勧められても、飲み物はすすっても、皆様お菓子に手を出しません。私はたまりかねて、「口をつける真似でもいいので、お菓子も食べてみてください。それがマレーシアの礼儀です。」と言いました。

マレーシアでは出されたものには必ず口をつけることが礼儀とされています。日本ではよそ様にお伺いして、いきなりがばがば食べるのは失礼だとか、1度口をつけたら、まずくても全部食べなければならないとか言われますが、マレーシアでは違います。まず出されたものをありがたくいただき、自分の口に合わなければ、残してもいいのです。口にしないということは、見ただけでまずそう、という意味です。もっと悪く言えば、毒が入っているかもしれないので食べないと言っているようなものです。

歓談も終わり、記念品の交換となりました。ご一行様はなんと3つしかお土産を持ってきていませんでした。役の上から3人の人に差をつけたものを持ってきていました。しかしマレーシア側からは、日本の自治体の長への贈り物と日本人のご一行様1人1人に紙袋いっぱいのおみやげを用意していて、長から1人1人に手渡されました。通訳の私にもです。余談ですが、そのようなわけなので、私の家にはマレーシアの政府機関からいただいたおみやげの数々があります。日本のご一行様はマレーシア側の列席者の約10名のほとんどに何も上げることができず、大変恥をかいたわけです。

どうして、外交をしようとしている自治体がおみやげにケチをするのか、その理由が分かりません。訪問先で何人が出てくるのかということは事前のやりとりの中できちんと名簿を交換して知っているはずです。それなのに、おみやげは儀礼的に上の3人だけにしか買って来ないで、マレーシア側からは全員にもらって、大恥をかいてしまったのです。

このエピソードの締めくくりは、靴です。ご一行様の中に1人、スニーカーを履いて来られた人がいました。もちろん服装は背広にネクタイです。しかし靴はスニーカー。背広にネクタイの場合、革靴を履くのが世界の常識です。その人は普段役所にスニーカーを履いて、自転車で通勤している癖がついていて、そのままの格好で海外まで来てしまったのかもしれません。みっともない格好で、自治体外交をして欲しくないなあとつくづく思いました。もちろんマレーシアの方は誰もスニーカーのことなど言いませんでしたが、見る人は見ていたと思います。

この話はごく小さな出来事です。しかし国と国が、たとえ地方自治体レベルでも対等にお付き合いをしていこうと思ったら、長年の間に蓄積された外交儀礼を守りまた相手の国のしきたりや慣習を学んで尊重することがとても重要になります。地方自治体でも、岐阜県の梶原前知事のように、外務省から総領事経験者を県庁の顧問に招き、自治体外交の場面で、その人の知識や経験を活用しているケースもありました。国際化をしたいなら、国際化の吉良上野介が必要になります。マレーシアに関しては、私も上野介ジュニアくらいになれますので、ご活用ください。(宣伝してすみません。)